何に価値を感じているか、そしてその深さなどは、本当に人それぞれ。
例えば、同じ「野球が好き」という括りだったとしても、「プレーする」「観る」とでは大違いだし、「観る」についても「高校野球」「プロ野球」「MLB」「特定の選手」「イケメンの追っかけ」など様々なパターンがあるし、それらの要素をいくつも持っているという人も多いでしょう。
さらに、「テレビでやってたら、何となく観る」「有料放送と契約する」「球場に行く」「春季キャンプを観るため、沖縄に行く」など、好きの度合いも人それぞれ。
もっと言えば、同じ人でも、時期や状況によって対象との距離感が違うものであり、興味本位からどハマりしたり、かつては人生を賭けていた感じなのに今では無関心になったり下手したらアンチになったりと、あれやこれやが無限にある訳です。
「数字」というものは、これらの情報をどこかで線引きし、「お金」「人数」などといった一定の尺度を用いて、誰もがわかりやすいように定義づけされたものと言えるかもしれない。
SNSの「いいね」などについても、僕のような慎重派もいれば、「お付き合い『いいね』」「友達『いいね』」とばかりに片っ端から押す人もいる訳だが、結果だけを見ればどちらも「『いいね』1つ」となります。
「質」や「重さ」もっと言えば「人の感情」というものは、数字からは見えてこないので、数字を分析(特に自分の)に用いるのは大事なことなんだけど、他の人やグループや企業や国などをその枠に当てはめてわかったような気分になるのは、かなり危険な感じがする。
うん、考えがそんなにまとまっていない状態で書いてみたので、何が言いたいのかわからないな(笑)。
「見切り発車は蜜の味(チームしゃちほこ)」、間違いない(笑)。