「人間、誰しも自分の長所と短所とはよく知っている。だから、見当外れの長所をいくら誉められても、少しも嬉しくはないし、また、長所ではあっても、むやみやたらと賛美されたのでは喜ばない。
誰しも、心の中では、こう誉めてもらいたいという誉め方があるものだ。」
伊藤肇さんの「十八史略の人物学」にあった一節ですが、「確かに」と思わせるところがある。
ただ、「誰しも、心の中では、こう誉めてもらいたいという誉め方があるものだ。」については、そのポイントが自分でもわかっていないということも多いのではないかと。
そう考えると、相手のそういったポイントを読み取る能力がある人は、他人を思うように操ることができると言えるかもしれない。
何このブラック心理学、怖いな(笑)。
また、自分が嬉しく感じるポイントを知るためには、それが「本当に嬉しいのか?」「何故嬉しく感じるのか?」と自問自答していくのもアリかもしれない。
「好きなこと」とかもそうだけど、そういうのって、何かしらの「原体験」があることが多い気がします。
ここから先は、例によって余談。
僕の場合で言えば、はじめのうちは人見知りで大人しめだからか、「真面目」だの「誠実」だのと言われることがあるけど、実際はそんなことはないので、「騙しているつもりはないけど、誤解させてしまって申し訳ありません」と心の中で謝ることもあります(笑)。
継続性を誉められることがあるけど、好きでやっていることだから、ありがたくは思っても、それほど喜ばしいという訳でもない。
「若く見える顔をしている」については、コラーゲンを中心としたドーピングのおかげなので、なかなかね…(笑)。
そんな中、最近になって、文章を評価されることが、自分にとっては嬉しいことだということに気付き始めた。
まあ、お金を取っている訳ではないので、「何となく」目に入っている程度だろうけど、僅かと雖も一応は時間と労力をかけて見ていただいていると考えると、前にも書いた気がするものの、「ちょっとした自分のファン」と脳内変換するのもアリかもしれない(笑)。
ツボは人それぞれだけど、その人にとっての何かしらの琴線に触れると、反応があったりすることもあって、「えっ、この人、読んでたの?」と驚くこともある。
それと、ハッキリにせよコッソリにせよ、知人を登場させると、これまた反応が来ることもある。
誉められたり良いエピソードだったりならわかるけど、イジられて喜ぶのはどうか?(笑)
ちなみに、インスタなどの写真なんかは、反応することへのハードルが低いのか、「お付き合い『いいね』」と言う名の、何でもかんでも「いいね」されることもあって、「どれが良くて、どれがイマイチなのか?」がわかりにくいというきらいがあるので、あまり分析には向かない気もする。
ただ、そこから趣味の合う人と繋がれたり仲良くなれたりする可能性はあるので、楽しみはある。
…、余談と言いながら、前半と後半で別記事みたいになってしまった…
脱線で長文って、ある意味新鮮?(笑)