やそのブログ

モットーは、「楽しい」「面白い」。 座右の銘は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。 最近は自作PCにハマってます。ある程度慣れてきたので、次は中の設定イジりかな…

その判断基準はどこから?

うーん、前々から書きたかった内容なんだけど、上手くまとまらない…


まあいいや、とりあえず書かないことには、何も始まらない。

 


その判断基準はどこから?


いや、どこからだったら良いとか、どこからだったら悪いとかいう話ではなく、自分でどこからなのかを認識しているのが大事だというお話。

 


「何かが好き・嫌い」「楽しい・つまらない」「何かを始める・始めない」「続ける・やめる」「その仕事を選ぶ・選ばない」「家を借りる・買う」などなど、様々な事柄について判断することついては、その人の中で何らかの根拠があるはず。


「何となく」「感情の面で」「みんなが〇〇言っていたから」「親が…」「彼氏・彼女・旦那・奥さんが…」「雑誌・WEBで話題」などといったように、意識する・意識しないに関わらず、色々な要因が考えられる。

 


人生というと大袈裟だけど、日々の生活において、大なり小なり何かを選択する場面がある訳で、「どうやって歯を磨こうか…」「どうやって駅に行こうか…」など、その一つ一つに思考を割いてしまうと、物凄い時間やエネルギーがかかってくるので、習慣などによって無意識のうちに行動なり判断なりができるというのは、ありがたい部分と言える。

 


ただ、その判断基準は基本的に過去の自分から作られているため、「思い込み」という枠にとらわれている可能性があるので、「本当にこれで良いのかな?」「たまには、〇〇にしてみようかな」と考えてみることも、大切なことなのかもしれない。

 


実際問題として、買わせ上手というのは、「いかに相手に考えさせないか」というところに力を入れていて、こちら側の選択肢や手順を減らして提供してくれるので、「安売りと見ると、ついつい買ってしまう」「気がついたら、ポチっていた」といった覚えがある人は、「ちょっと待てよ」と意識してみた方が良いかも。


………って、それは僕だ(笑)。

 


「何となく」については、「勘」という大事な要素である可能性があり、凡百の理論理屈よりも正しい場合もあるため、根拠が弱いからといって無下にしないことがポイント?


人の感情や感覚や考え方というものは、言葉にできるとは限らないし、正解があるものでもないので、他人に否定されたところで、気にする必要はない訳だし。

 


「常識では」「普通は〇〇する」ということについては、もちろん生活や仕事などをする上でとても重要というか大前提となる部分なんだけど、そこにとらわれ過ぎると、ちょっと怖いものがあるような気もする。


比企谷八幡さんも、「みんなって誰だよ………」と言っていますし(笑)。

 


とはいえ、世間で受けていたり売れている物には、それだけの魅力がある訳で、自分にとっては序盤が面白く感じられなかったため見切った作品が、後に爆発的ヒットとなって、改めて触れてみたらどハマりしたなんて経験は、枚挙に暇がない。


我ながら、見る目がないなぁ…(笑)

 


脱線脱線で話が飛びまくりだ。


何かを決める際、何を判断基準にしているかを自分で把握した上で、「自分が納得しているか」「ダメだった時、誰かのせいにしないか」「未来の自分に繋がっているか」といったことを念頭に置いておくと、より良い選択ができていくのではないかなと。


過去のしがらみにとらわれてしまうと、現在そして未来の自分が可哀想だし。


あ、写真を撮られると魂を抜かれるのは、迷信ではなく本当です(笑)。