その人の考え方や発言や文章というものは、根本は同じだとしても、状況・時期・気分・コンディション等といった諸々の条件によって、大なり小なり変わっていくもの。
特に、直近での体験や会話や見聞きした物事等は、その影響が大きかったりする。
また、日々「なんとなく」触れているものなんかも、長期的に見ると物凄い影響力となるため、できるだけ悪い物事に触れないようにしたり、善と思われる物事に触れるようにするのが良いのかもしれない。
成長を表す言葉として、「士別れて三日ならば、即ち当に刮目して相待つべし」というのもある。
でーっかいね それは宇宙 そう! 可能性は 無限でちゅ あたし達まだまだ成長中 そう、頑張ってる途中ー! ♪ (私立恵比寿中学 「頑張ってる途中」)
余談だけど、僕のこれまでに投稿したコラムまがいのものについても、同じ題材であっても書く日や時間によって内容がガラッと変わっていた可能性もある訳だ。
そう考えると、文章一つとってみても、無限のバリエーションがあるということになる。
これを飛躍させると、意識的あるいは無意識での日々の選択の一つ一つが後々の人生に繋がっていくことになるので、人生に「退屈」なんて二文字がないということがわかって来ますね。
偶発的な要因というものも馬鹿にできないもので、「フラッと立ち寄った本屋で見かけた旅行の雑誌を読んで海外に行きたくなり、外国に行ってそのままそこに定住してしまう」なんてことだって起こらないとは限らない(笑)。
そこまでいくと神の思し召しなんて気もして来るけど、全てを自分の意思の範囲内でおさめようとするのではなく、煮詰まった時には「ランダム再生」「回り道」なんかも良さそう。
神さまの言うとおり ♪ (フリンデルガール 「神さまの言うとおり」)
ナビもつけずに回り道で 全部想い出 ♪ (私立恵比寿中学 「スウィーテスト・多忙。」)
逆に、自分の何気ない行動が他人に対して良くも悪くも物凄い影響を与えてしまうという可能性もある訳で、ちょっとした慎重さや動く前の一呼吸が意外と大事だったりするのかもしれません。
偶然と言えば、今回のこのコラムまがいのものに関しても、本来なら「これを飛躍させると…」の段落で終わりで投稿するところだったんだけど、その前にメモ帳(Evernote)を閉じざるを得なくなり、再び開けるようになるまでにその後の文章が浮かんで来たため、このように伸びていったという裏話があったりするので、やはり何がどう転ぶのかはわからないものなんだなぁなんて思ってみたり…
あ、フリンデルガールというのは私立恵比寿中学のユニットのことであり、ここでも僕が引用する曲はエビ中がほとんどなんだということがわかる(笑)。