やそのブログ

モットーは、「楽しい」「面白い」。 座右の銘は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。 最近は自作PCにハマってます。ある程度慣れてきたので、次は中の設定イジりかな…

斜め上の解決法が浮かぶ?

人間たるもの、生活しているとできることが増えていくもの。


身に付くものは人によって様々ながら、同じスキルであっても、習得の仕方ややり方が違ったりする。


僕のような友達がいないタイプは、独自の方法になりがちですねぇ(笑)。


さて、それが自分の世界で完結していれば問題ないんだけど、人に「これってどうやんの?」「これ、わかる?」と聞かれた場合、正攻法ではなく斜め上の解決法が浮かんでしまうというのは困りもの?


一応、その場おける相手の問題は解決しているので、感謝もされる訳だが、後々になってもっと簡単だったり効果的な方法が判明することが多々あり、「あちゃー」となることもしばしば。


ただ、その斜め上の解決法を面白がる珍味好きな人もいたりして、世の中って広いなぁなんて思うこともある(笑)。


基本的に先人達が築いて定着してきたやり方というのは、多くの人がやり易いようにできているからこそ引き継がれている訳で、あれやらこれやらこねくり回して何とか形にしたような僕のやり方とは格が違うのよね。


もちろん、思い込みにとらわれない柔軟な発想が大事なのは言うまでもなく、伝統ばかりに固執してしまうと停滞してしまうので、理想は守破離なんでしょう。


という訳で、まずは基本を身に付けるべきなのに妙ちくりんなやり方を定着させてしまった僕のような人間は、自力で習得しているので付け焼き刃ではないのは良いんだけど、正しいやり方を習うのが困難だったりする。


習慣というものは身に付くまでが大変、身に付いてしまえば大きな力になるものの、それを外すのもまた大変。


これは頑固で受け付けられない等といった気持ちの問題ではなく、まあ僕の場合はこの傾向もある訳だが(笑)、どうしてもしばらくの間は今までの癖が出てしまうものなのよね。


ある程度の期間は自分のやり方で何とかなったとしても、やっぱり非効率だったり、いずれ時代の変化に取り残されたりする危険性は否定できないので、矯正すべきところはできるに越したことはない。


また、今は正攻法でも、もっと良いやり方が生まれてそれが主流になることもあるので、柔軟な思考は大事。


ホント、「論語」の「子罕第九」にある「子曰はく、『後世畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや』」ですね。


余談、斜め上そして自己流と言えば、僕の文章なんかはまさにそれで、色んな本やブログ等に無意識に影響を受けて、日々なんかかんか書きながらそれらが混じり合って、とんでもなく癖のある今の感じになっていった訳で、もはやどう考えても一般的な文章には戻れないだろうなぁ(笑)。


要するに、毎日努力して日進月歩していこうというお話でした?


今 全力で日進月歩! 新たなスタートさ 囚われた理想を飛び越えてフライフライフライ ♪ (私立恵比寿中学 「日進月歩」)