「出す」というのは大事な行為である。
人間の身体というのはありがたいことに、悪い物が入って来たとしても、基本的には排出してくれるように出来ているらしい。
また、摂取した栄養についても、身体の中に届けた後、役目を終えた後の老廃化した物質も排出してもらえます。
先日、循環について述べたけど、いくら綺麗な水であっても溜まったままでは年月が経っていくことで澱んでいってしまうので、流れ続けることで良い状態が保たれ、より良くなっていくとも言える。
いくら勉強して知識をつけたり、良い話を聞いたとしても、アウトプットなり実践したりしていかないと、せっかくの勉強等もあまり定着しないままになってしまうかもしれません。
さて、世の中というのは残念ながら楽しいことばかりではないもので、人は大なり小なりストレスや悪い気持ちなりが醸成されてしまうものなので、あまりに溜まってしまうと病気だとか精神が弱まるだとか非行に走るだとかになりかねないので、これまた上手く出すことが重要となる。
ただ、こちらは単に出せば良いという容易な話ではなく、悪口を言われたから悪口を言い返すとか、嫌な目に遭ったから嫌な目に遭わせるとか、悪い物が溜まったからと言って悪いままに出しづらいというのは、なかなかに難しい問題ではある。
あまり感心はしないけど、酒の席で誰かや世の中の悪口を言ったりするのは、それによって多少なりともスッキリしようという行為だろうから、全面的にダメとは言い切れないのかな?
個人的には、その嫌だと思うことを話題にしている時点で、そのことに対して意識や時間を使っていることになるので、それよりかは頭から外して別のことを楽しんだ方が良いんじゃないかという考え方なんだけど、そんなに簡単に割り切れるものでもないのか。
別のことと言えば、ストレス発散ということで、ジムに行って身体を動かしたり、カラオケに行って思いっ切り歌ったり、友達とのトークだとか好きなライブだとか美味しい物を飲み食いするだとかを楽しむことで、気がついたらスッキリしていたなんてケースについては、一体全体どういったメカニズムなんだろう?
そういった行為を行うことで、澱んだ悪い気が身体の中から出て行く過程あるいは外に出た後で、邪気が浄化されるのかな?
こういった理屈から考えると、コロナ禍により上記のような飲みだとか外での発散だとかが封じられてしまうため、世の中が何となくギスギスした感じになるというのは、本当に困ったものではある。
ただし、他に出す先が思い付かないからと言って、SNS等での批判や悪口なんかが肯定される訳ではないので、どうしてもやりたければ人の目に触れないところでやって欲しいもの。
あ、僕は時折「口が悪い」と言われるんだけど、別にストレス発散をしているではなく、単に性格が悪いだけなので、あまり近寄らない方が良いかも(笑)。
人間だもん 胸の奥 デビルとエンジェル 日々さんざんぱら 喧嘩してて デビルの勝ち越し ♪ (私立恵比寿中学 「イート・ザ・大目玉」)