やそのブログ

モットーは、「楽しい」「面白い」。 座右の銘は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。 最近は自作PCにハマってます。ある程度慣れてきたので、次は中の設定イジりかな…

文章と感情

先日、「文章には、感情が乗る」といった話を聞いたので、ちょっと考えてみる。

 


あ、いつも以上に文章にまとまりがなく、話が飛びまくったり、脱線しまくったりする上、結論もないので、そういうのが気持ち悪い方は、注意して下さい。

 


文章は、実際の会話にある「言い方」「声のトーン」「表情」「しぐさ」「雰囲気」といった要素がないので、基本的には文面通りに受け取られることになり、「感情は乗らないもの」と結論づけても良さそう。


ただ、理屈ではなく感覚として、なんとなくだけど、読んでいて「筆者の思いを感じる」と思えてくることがあるのも事実。


また、自分の文章に関しても、「表情が見える」と言われることがあるので、やっぱり文章に感情がある可能性はゼロとは言えないかも。


まあ、自分の場合は小ネタを挟むことが多く、その際は(笑)を入れるので、そりゃ楽しそうに見えるわな…


ただ、いつもいつも上機嫌で書いている訳ではないので、実際の感情と読んだ人が感じたものが一致するとは限らない。


いや、小ネタを入れる際、「どんな反応になるのかな?」と楽しんでいる面もあり、そうやって遊ぶことで沈んでいた気持ちが上がっていくこともあるので、やっぱり感情と一致するのかもしれない。

 


余談。


「感情と違ったことを書く」ことは、上記の「実際の会話の際にある要素」がないので、やり易くはある。


上記の「実際の会話の際にある要素」と、話している内容が一致しながら、実は心の中ではそう思っていないということが出来ることは、物凄い能力であると同時に、詐欺師の才能があると言えそう。


社交辞令の度が過ぎ、それが習慣づいてしまうことで、自分の感情を見失うようなことになっていたとしたら、かなりの不幸だろう。


南さんも、「現代人は、『感情労働』に苦しめられている面がある」といったようなことを仰っていました。


だからこそ、人は「素の自分を出せる場」を求めるのかもしれない。

 


もう一つ余談。


僕はスタンプこそ使うものの、文章に絵文字・顔文字は(さらには、小ネタ以外ではエクスクラメーションマークも)使わないのですが、それでも文章に表情を感じさせることがあるということで、世間一般の人たちはそういうのを普通に使うということで、より文章による感情表現をし易いと言えそう。


と同時に、実はそんなに楽しくもないのに、楽しそうな絵文字・顔文字を並べているという人がいるかもしれないと考えると、なんか怖い…(笑)

 


話が逸れまくっているついでに、余談をもう少し。


自分には来たことがないから、都市伝説レベルの伝聞で、直接関係はないんだけど…


女子が絵文字・顔文字・スタンプでハートマーク的なのを入れるのは、好意がある訳ではないとしたら、酷いというか、とんでもない悪戯なのではないか?


もらった側が、見たまんまで捉えて良いものか悶えることになりかねないので、可哀想(笑)。


実際の会話であれば、「上記の要素」によって、裏が見えてくるのかもしれないけど…


 


ということで、面白そうなテーマと、オチではないけどこの小ネタがやりたかったので、このようなとっ散らかったコラム(?)を書きましたとさ。