世の中には、「察する」「行間を読む」「こういう状況では◯◯」なんて表現があるけど、常識や風習なんかは時代や地域や業界等によって様々なので、自分がそう捉えたからと言って相手や周囲や世間も同じ認識だとは限らないということを留意しておく必要がある。
昔のことなのでうろ覚えなんだけど、中高生の頃に読んだ本で印象的だったのが、星新一さんの短編に「とある物事について言論弾圧や刑罰が凄まじい。『酷い世の中だなぁ』なんて思ったら、禁止されていたのは『戦争』を連想させるような物事だった」というのがあり、「うーん…」と唸らされた記憶が残っている。
全ての事象の善悪や真相や心の中を知り尽くしているなんてことは不可能なので、軽々しい思い込みや決め付けやレッテル貼りなんかは気をつけないといかんね。
「郷に入っては郷に従え」という言葉がある通り、今までと異なる世界に行くのならば、そことの関わり方・距離感は自分で決めるにしても、そこのことを調べて、意図せずにそこの人達にとって無礼にあたることをするなんて事態を避けたり、知らずにやってしまったとしたら素直に謝罪するのも大切だと言えそう。
出身校である世田谷学園のモットーである「違いを認め合って、思いやりの心を」という文言、今さらながら良い言葉やな…
先生の言うこと(いいこと) 10年経って響いたぞ ♪ (私立恵比寿中学 「愛のレンタル」)
表現方法の話をすると、漫画かなんかで知ったんだけど、昔の小説がキッカケで、「月が綺麗ですね」という言葉は告白のフレーズとなっているらしいですね………って、んなモン知らんわ(笑)。
お笑いは見ないので詳しくないんだけど、登場人物の各人が何やら認識違いをしていることを「アンジャッシュ」という言い方をするみたいで、物語なんかだと笑えたり仲違いのシーンに使えたりとであり、外から見る分には面白いものの、現実でそんなことが起こったらたまったものではない(笑)。
「恥をかかせないように、それとなくわからせる」「傷つけないように、婉曲に伝える」「失礼にならないように、忙しい様子を見せて帰りを促す」等々、美徳だったり善意から来る使い方も多いものの、わからない人や回りくどいのが嫌いな人からすると、「ハッキリと言葉にせい」と言いたくもなるでしょう。
会話大事、確認大事。
どうでも良い余談。
昔読んだ本の件で思い出したんだけど、中高生の頃の一時期に星新一さんにハマって、学校帰りの電車で読んでいたら、幼児だったか小学生だったかの女の子2〜3人組に「あー、星新一を読んでるー」と絡まれたなんてことがあった訳だが、もしかしてアレが我が生涯唯一のモテ期(?)だったんだろうか…
うん、相変わらず自虐ネタはちょいちょい浮かんでくるな(笑)。