良い習慣が身についてしまえば、これほど楽なことはない。
やるのに感情やエネルギーは必要なく、当たり前のこととして日々積み重ねていけるので、月日が経てば経つほど実力がついたり目標に近づいたりできる訳だ。
一万時間の法則という言葉もある。
ヒツジ師匠、僕から見たら人間性や姿勢などが素晴らしかったり、それでいて成果も出しているという、「あまりにも完璧過ぎて、逆に怪しい」お方なのですが、以前に「特別なことは何もしてないよ」と仰っていたことがありまして、更なる凄まじさを感じるとともに、ご本人からしたらその凄さが当たり前のことになっているということで、習慣というものの威力の裏づけと言えそうだなと。
余談ながら、自分で言っておいてなんだけど、「完璧過ぎて怪しい師匠」って表現、相当にぶっ飛んでいる訳だが、頻繁に入力していくうちに、今では自然に使用するようになっている。
習慣って怖いね(笑)。
話を戻しますが、問題はどうしたら習慣になるかということ。
三日坊主という言葉があるように、はじめは気合いを入れて始めたとしても、気がついたらやらなくなっていたなんてことは、ザラにある。
今までやってこなかったことを日常の中に組み込むからね、違和感バリバリだよね。
KJさんらのNSTの内容を拝借させていただきますが、「意識しないからできない」のは当然の話、「意識してもできない」状態が、一番苦しいと言える。
そこを乗り越えて、「意識すればできる」ようになれば、嬉しくなって、よりやりたくなってくるので、やはり先ほどの「意識してもできない」状態が一つの山。
ただ、その「意識してもできない状態」は、自分の成長に繋がるポイントであり、捉え方次第では最も喜びを感じることができる時期だとも言える。
さらに進んで、「意識しなくてもできる」になってしまえば、もはや怖いもの無し。
やるつもりがなくても、気がついたらやっていたりするからね、凄いよね。
「大きな紙に書いて、目につくところに貼る」だとか、「毎朝、大きな声で宣言する」などというのは、馬鹿馬鹿しいようで、実際にそれで成功している人がたくさんいる以上、有効な手段の一つなんでしょう。
その物事によりけりだけど、条件づけというのもアリで、やる前の約束事や縁担ぎだとか、好きな音楽をかけるだとか、自分へのご褒美だとか(笑)、人を巻き込むだとか、とにかく習慣づいてしまえば勝ちなので、自分に合ったものを見つけるのが吉。
ただし、一緒に変な癖がついてしまうと、その癖がなかなか抜けなくなってしまうことがあるので、その辺りは注意が必要かもしれない。
あと、人から反応があったりすると、「見られているんだな」という意識が働くので、続ける理由の一つになることもある。
人の反応は自分ではコントロールできないし、プレッシャーにもなるけどね(笑)。
また、習慣は一度崩してしまうと元に戻すのが大変だったりするので、その辺も気をつけたいところ。
また、自転車みたいに一度できるようになってしまえば長い期間ブランクが空いてもできるようなものもあれば、せっかくできるようになっても暫く間が空いてしまうと再びできなくなってしまうようなものもあるので、その辺りの見極めは大事かも。
最後、どうでもいい話。
僕は「やそしま」という苗字なので、小さい頃から「やそ」と呼ばれることが多い訳だが、とあるエンターテイナーに「やっそん」なる珍妙なあだ名をつけられ、そこの人たちにそのように呼ばれているうちに、返事をするように調教されてしまった…
慣れって、ヤバいな(笑)。
さらに余談ながら、苗字が珍しいだけに、親戚以外で下の名前で呼ばれることはまずないので、正直呼ばれ慣れていない訳だが、新一万円札が渋沢栄一公ということで、世間では万札のことを「諭吉」と表現することがあるだけに、「栄一◯枚持っている」みたいな会話が聞こえてきたら嫌だなぁと思っている今日この頃(笑)。