やそのブログ

モットーは、「楽しい」「面白い」。 座右の銘は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。 最近は自作PCにハマってます。ある程度慣れてきたので、次は中の設定イジりかな…

妄想してしまうと、崩れた場合にストレスになってしまう?

久しぶりのコラム?


「もし〇〇だとしたら…」という言葉は、良くも悪くも効果が物凄いと言えそう。


詐欺のニュースなどを見聞きする度、「世の中、何でこんな荒唐無稽な話に引っかかる人がいるんだろう?」という疑問を持ったりするんだけど、上記はその理由の一つになりそう。


つまり、「『うまい話』が叶った場合の日常」という妄想を一度でもしてしまうと、「『それが果たされないこと』がとんでもないストレスになってしまう」ということではないかと。


これは「うまい話」に限らず、例えば車だとか携帯だとかを買う場合などでも起こりうることだったりする。


事前に綿密な下調べやら費用計算やらをするにも関わらず、後になってお店から「申し訳ありません。確認したところ、〇〇のキャンペーンの対象外でした」などといった連絡が来た場合、本来ならよくよく考え直すところなんだけど、「一度手にした物」という意識が刷り込まれているため、手順などを一からやり直すよりは、一刻も早く「それがある生活」にたどり着こうとして、多少値上がりになったとしても言いなりの価格で買ってしまったりするもの。


だからこそ、「毎月〇〇万円」「年収〇〇〇万円」「〇〇な待遇」みたいな話に対し、その具体的な生活をイメージさせられてしまうと、今の生活が貧相に感じられて、危機意識が弱くなってしまうのかもしれない。


そう考えると、マイナス思考な人や、過去に騙されたことのある人は、「そんなうまい話がある訳がない」とイメージしようとしないので、乗っかってしまう危険性が下がるのでしょう。


ただ、それが極端に行き過ぎてしまうと、「うまい話」ではなく「ちゃんとした話」が来たとしても、現状維持を優先して、チャンスを逃すということになりかねないので、難しいところではある。


伝える側に立場を変えると、あくまで「ちゃんとした話」をする場合に限るけど、「いかに相手の人に具体的にイメージしてもらうか?」が大事になってくるんじゃないかなと。