人は一度でも関わったり、身のまわりにあったり、見聞きしたりする物や事や人に対して、良くも悪くも愛着というか馴染みみたいなものを覚えていくもの。
普段テレビとかに向かってスポーツ選手や政治家等に悪口を飛ばしていたとしても、会って話すなんてイベントがあれば、その後は悪口を言わなくなってしまうものらしい。
画面の向こうの違う世界の人(あるいは偶像?)から、自分の知り合いという風に意識が変わるんでしょうね、それならはじめから悪口なんて言うなよって話(笑)。
さて、「今が楽しくて仕方ない」だとか「夢や将来に向けて頑張ってます」等といった方々は別として、現状維持バイアスというか、何となく「今のこんな感じで人生が続いていくんだろうなぁ」って思っている人もちょこちょこいるだろうけど、そうなるとは限らないものなんですよね。
世の中というのは変化していくものであり、自身やまわりで大きなイベントだって起こるだろうし、それらに限らず、同じ会社にいたとしても部署や立場が変わったり、加齢により身体機能が変わったり、経験のよって自身の感じ方や考え方が変わったりするなど、「ずっと今のままの生活が続く」というのはなかなか難しい…
ガルブレイス氏だったか瀬島龍三氏だったか、「予測されるのは変化のみ」と言っていたみたいですね。
余談だけど、2021年になっていきなりビックリしたのが、私立恵比寿中学の新メンバー募集の話。
まあ、そもそもエビ中は激動のグループなので、「今のまま」とは程遠いですねぇ。
これからもエビ中ファミリーらしくファンを楽しんでいきます。
話を戻しますが、何かが変わったとして、はじめのうちは現実感がなく、「いつか元に戻るだろう」と考えてしまいがちなんだけど、元に戻るケースもあればそのまま元に戻らないなんてケースもある訳で、相当な時間が経ってから焦り出すというのは、かなり厳しくはある。
流行や価値観も変わっていくもので、例えば残業なんかは一昔前は当たり前に考えられていたけど、現在では減らす方向にシフトしていて、どっちが正しいとかじゃないけど、人によっては「ちょっと前までは残業はプラス評価だったのに、今は敵視されてしまう」と本人は同じことをしているのに反応が180度変わってしまったり、残業代を計算に入れて生計を立てていたのならばその分減収になるので、困ったことになってしまうということにもなりかねない。
変化があったのであれば、その要因やそれによってどうなるかや自分に活かせるのか等を考えてみるのも良いことかもしれない。
強風の中で立ち続けるというのは困難なもので、流れに沿って少しでも歩いた方が楽だったりもするし。
伊藤肇さんがよく引用しているけど、中山素平氏の人生観である「流るるままに」という言葉、本当に深みがあるなぁと。
ちなみに、伊藤肇さんの「現代の帝王学」には、「『流るるままに』といっても、無為無策のまま、だらだらと流されていくことではない。いうなれば、武道における自然体で、満潮の時には、その勢いに乗じ、干潮の時にはあせらず、静かに時を待つという姿勢である」等といった補足説明もあります。
今日までの全ての日々よ 私はここで言いたい 「大事にして居たいな」 「忘れずに居たいな」 これからもずっと どこに居ようと 何をしようと 何回だって ♪ (私立恵比寿中学 「シンガロン・シンガソン」)