やそのブログ

モットーは、「楽しい」「面白い」。 座右の銘は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。 最近は自作PCにハマってます。ある程度慣れてきたので、次は中の設定イジりかな…

会心の出来

無我夢中にやった結果や、色々と試してみた結果、会心の出来だとかピタッとハマっただとか凄まじい成果(品)が上がるなんてことがある。


努力の末にせよマグレにせよ、それ自体は物凄いことだし、大いに誇るべきことなんだけど、それが再現出来れば、更に素晴らしいということになる。


それにたどり着くまでにデータを取っていれば理想的なのだが、いちいち記録しながらだと時間がかかるので、やっていないというケースが多数ではないだろうか。


Excelを弄るにせよ写真を加工するにせよ料理するにせよゲームするにせよ何にせよ、ザックリとであっても出来上がりは出来上がりなんだけど、その後の微調整によって成果に雲泥の差が生まれることもある。


逆に、こだわりまくったは良いものの、微調整前とあまり変わらなかったり、クオリティが上がったとしても受け手が特段気にしなかったりすることもあるので、「努力=◎」と言い切れないところが難しい…


そうなってくると、「右に何回、上に何回クリックした(マウスを動かした)」だとか、「塩ひとつかみを何回か入れた」だとか、いちいち覚えてられないなんてことになりがちなのかも。


データを取っていなくても、記憶が残っていれば再現出来る可能性があるので、脳に焼き付けるだとか何かに結び付ける等といった意識は大事?


出来上がった物や事に型が残るようなものであれば、今後はそれを基にしていけば良いし、他の人も活かしていけたりもするんだけど、こちらは元データを失うと弱いという欠点がある。


僕の場合、Evernoteに思い浮かんだアイデアやら小ネタやら記録やら何やらを色々ぶっ込んでいるけど、何かの間違いでデータがぶっ飛んだら、真面目にヤバいことになる。


まあ、変な文章力はちょこちょこやっているうちに身に付いたものなので、そうそうは失われないと思うけど…


どうでも良いんだけど、過去に何度か書いたことがあるように、僕の文章にはいくつかこだわりや縛りなんかを入れており、日によっては何度も推敲することもある訳だが、かと言って大してクオリティは変わらないし、そもそも誰も興味がないでしょう(笑)。


さて、出来上がったのが物や事でなく感覚的なものだった場合、データを取っていたとしても再現は困難だろうから、「鉄は熱いうちに打て」の通り、一気に大量にやることでモノにしてしまうのが良さそう。


そして、喜ばしいことに再現出来るようになったのであれば、それを人に教えてあげることが出来れば言うことなしでしょう。


大手チェーン店なんかの凄いところは、店舗によって特色や誤差はあれど、「利用者がイメージするサービスを提供出来る」という点とも言えそう。


マニュアルというのは何となく嫌われるものだけど、「大多数の人が同じようなことを出来るようにする仕組み」というのは、何気にとんでもないシロモノだったりするもの。


伊藤肇さんの著作でよく九州松下の高橋荒太郎氏の「反復連打」の話が出て来るけど、教える側の情熱や根気というのは大切で、リーダーに教えていただくようなことがあるとするなら、教えられる側もそれ相応の姿勢が望ましいのかも。


大人の答えはもう聞かないよ ガキにしか出来ないこともあるぜ ♪ (私立恵比寿中学 「ちちんぷい」)


そう、子供時代特有の発想や行動力はとんでもない訳だが、大人になってから再現出来るとしたら、本当に何でも出来そうですねぇ。